Association for Sakhalin & Karafuto History The 52nd Meeting "Sakhalin History Research in the World"

午前の部

報告

  • 【報告1】「日本における前近代サハリン・樺太史研究の動向:1264-1867」
    • 日本における前近代サハリン・樺太史研究の動向の総括はこれまでなく、ほとんど認知されていない。そのため、研究が停滞、皆無であるかのような印象すら与えてしまう危険性もあるので、星歌を総括することとなった。
  • 【報告2】「『日本植民地研究の現状と課題』から10年:植民地樺太研究における量的拡大と「逆コース」と」
    • 樺太研究が進展しつつあるも、植民地研究全体の中では満洲・朝鮮・台湾の三大植民地が中心となり、樺太研究が軽視されている。
  • 【報告3】「世界におけるサハリン・樺太史研究 日本語圏近代史その2(社会・文化)」
    • 近現代樺太における学校教育、社会教育、宗教、言語・文学などの状況に関する報告。

質疑応答

  • 質疑
    • 樺太の民族問題について
      • (第一報告のレジュメp,10と第二報告のp.4,p.6、第三報告p.3に関しまして)、先住民族(アイヌ、ウイルタ、ニヴフ)についての質問がございます。サハリン前近代史においては、北東アジア史、日本史研究としての位置づけから、サハリン・樺太史そのものが研究ジャンルになったというお話だったかと思います。そして、第一報告p.4の「まとめにかえて」の部分では、前近代の同地域においてはアイヌ、ウイルタ、ニヴフがマジョリティかつ主人公であり、現在の研究の進展はアイヌ、ウイルタ、ニヴフ研究の隆盛と連動していることが指摘されています。一方で、近現代史研究においては少数民族エスニック・マイノリティという扱いで、既に少数民族であることが所与のものとなっているかと思います。そうすると通史から見た場合、マジョリティから少数民族に転落する過程が重要になってくると思われるのですが、この位置づけはどのようになっているのでしょうか。前近代と近代の接続の観点も含めて見解をお聞かせください。
  • 応答
    • 前近代から近においてアイヌなどがマジョリティから少数民族に転落した過程。
      • 前近代の報告者→文化人類学が中心、近現代は歴史学が中心。だから断絶があるように感じられる。
      • 近現代の報告者→南樺太が日本領になった時に、急激に日本人が流入したので、少数民族に転落した。
      • ギャラリー1→1875年の交換条約の時に、樺太はロシアの流刑植民地だった。また日本領でなくとも漁場経営で日本人がアイヌを使役していた。
      • ギャラリー2→樺太ではないが根室では、昆布などの生産でアイヌが使役される。近世においても少数民族に転落する過程が始まる。

午後の部

報告

  • 【報告4】「ポスト・ソビエト期サハリン・クリル史研究の基本的傾向」
    • ロシアではサハリン以外の場所では、サハリン史研究に大きな進展はみられない。モスクワの研究者にとってサハリン州というのは日本との領土問題に関わってのみ想起される場所。現在、研究を担っているのが、サハリン国立大学、サハリン州郷土博物館、国立サハリン州歴史文書館。研究の問題点は、研究が細分化され、研究者たちが孤立化し、新しい若手が育っていないこと。研究成果としては、ロシアにおけるサハリン・クリル史学史は検閲とイデオロギーの軛から解放され、ヴィソーコフ、イシチェンコ、ヴァレンスキーら優れた研究者たちの努力があった。
  • 【報告5】「韓国における「サハリン韓人」関連研究状況」
    • 韓国ではサハリン韓人に関する研究は、永住帰国問題が表面化した1980年の半ばから本格的に開始。初期研究は、サハリン韓人の帰還を巡った問題が多い。その後、サハリン韓人の国籍問題、法的地位、植民地期強制動員の問題などが主流をなした。しかし2010年永住帰国事業が実質的に終了。2011年韓国の国籍法の改正によって、65歳以上のサハリン韓人が複数国籍が与えられてサハリン問題がひと段落。研究の数は減り、研究内容は多様化した。従来サハリン韓人は「民族の受難者」であるという被害者の問題として認識されたが、今は韓国社会内部で「観察の対象」、「異質の存在」「容認された差別」として扱い始めた。
  • 【報告6】「近年の英語圏のサハリン/樺太史研究」
    • 日本帝国の中に樺太を位置付けることに一定程度の影響を与え続けたのが、テッサ・モーリス=スズキ。(1)日露国境の形成、(2)元樺太住民の戦後サハリンへの旅行記、(3)1930年代から40年代にかけての入植者アイデンティティの形成に関するもの。これらの論文が主要論文となっている。
    • 英語圏では、帝国の崩壊の比較が必要となってきており、近年「引揚」という用語は使わずに、「人口移動」として扱うべき。樺太引揚者の指導者は、樺太農業の経験から北海道開拓のための技能があるというイメージを強調していたが、農業に職を得た引揚者は比較的少数であり、北海道の都市部へと移動することが一般的なパターンであった。「樺太引揚者」のイメージの脱構築が図られた。
  • 【報告7】「中国語圏におけるサハリン樺太史研究」
    • 中国でのサハリン研究は、(1)サハリン中国固有領土論、(2)三丹貿易、(3)台湾研究者による日本帝国植民地研究としての樺太研究の3つがある。台湾では日本人が行っていない研究にも取り組んでいるため、果たして日本が研究の最前線といえるかどうか。

質疑応答

  • 質疑
    • 「引揚者」のイメージの脱構築について質問があります。「帝国の崩壊」における他国との比較研究で「引揚」という概念はあまり使わないということでしたが、なぜ日本では現在にも根強く引揚者アイデンティティを共有するグループが存在するのでしょうか?「引揚者」イメージの再生産はどのように行われているのでしょうか?
      • 韓国では引揚はイニャンだが船にだけ使う。韓国では「帰国」という言葉を使う?
      • 日本では明確であり、兵士は「復員」、民間は「引揚」。