On the designation "North,sea,road"

地域史メモ。

  • 「North-sea-road」は「Three prefectures and One station」時代にいったん消滅したのか否か
    • 1869年7月に開拓使が置かれ、翌8月にNorth-sea-roadと改称された。その後1881年開拓使は廃止され翌1882年に三県一局となった。これを聞いたときに、「North-sea-road」とは一体何かという疑問が浮かび上がった。地域としての名称なのか行政区分なのか。「Ezo Land」から「North-Sea-Road」に改称されたのならそれは地名。と、いうことは1882年の三県はNorth-Sea-Roadのもとに設置されたのか。それともNorth-Sea-Roadはいったん消滅した上で、1886年北海道庁新設の時に甦ったのか。
  • 樺太アイヌ強制移住させられたのはアイヌ可愛そう論を越えて国境紛争があったのでは?という議論
    • 近代国家は主権・領域・国民を有する。そのため国境画定事業と国民創出をしなければならない。樺太アイヌ強制移住させられて可愛そう理論はある種の国民創出である。しかし、国境紛争の観点が見過ごされているという指摘が出た。つまりアイヌを放置していると彼らは勝手に漁業に出ちゃうし、漁業に出ると相手国の国境線を侵害しちゃうし、そうするとロシアと紛争起こっちゃう。だから樺太アイヌをNorth-Sea-Roadに移住させて農業させなくては・・・という展開だったのではないかという説が提唱された。
  • 少数民族の一体性と独自性
    • アイヌには統一したアイデンティティはなく地域ごとのエスニックグループという説から台湾の事例に及ぶ。台湾では日本統治期の少数民族高砂族と呼称されていたが、その後どうなったのか。留学生が言うには、国共内戦に敗北した蔣介石が台湾に逃れると先住民族支配のために分割統治を行い、これにより協力するグループと抵抗するグループで色分けされていった。で、今は文化ごとに少数民族が認定されているが、人種的には同じではないだろうか?ということであった。詳しいことは不明。